2010年3月23日火曜日

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学生の頃、プラーカがまだファッションビルとして営業していた頃、良く通っていたお店がありました。
「rouge」今でも古町にあります。
店長のマチダさんに色々とお勧めされて良く買い物しました。
「rouge」は「no.44」を扱っていて、当時学生でお金の無い自分はヨーロッパ古着のリメイクをした「no.44」を好んで着ていたわけです。
意外とウラハラはそんなにガッツリ通って来ておりません。
友人で好きな子がいたんで何となくエイプやgの存在は知っていたんですが、どちらかというと自分はアントワープ系の方に興味があって、「クライム」に行ったりもしてましたね。
「rouge」と「クライム」だったのかな??「ABAHOUSE」も良く行ってました。
懐かしいのは「リビルド」。小さなセレクトショップが頑張っていた時代です。

今の会社を知ったのは、学生の頃、そろそろ就職活動しないとなと思って会社説明会に行っていた時にたまたまふと目に留まった会社概要がそれでした。

何か導かれるように説明を聞き、その後電話をして、面接を受けて合格。
ほとんど就職活動もせず、という強運に恵まれた今では考えられない就活。。。
(今の学生さんには頭が下がります)

今振り返ればなぜこの業界に入ったかと考えると、その出会い以前に、実は繋がる出来事があったんですね。

高校生を卒業しその後何をするかと進路を悩んでいたとき、友人が東京に音楽の勉強をしに行くと言っていたことに触発され、自分も音楽の道を選びたいなと思い(その当時は寝ても覚めても音楽、ご飯も食べずに作曲やら演奏していたんです)親にそれを打ち明けると、猛反対!
そんなもんで食っていけるか!と父親と喧嘩になりました。
そんなに父親と喧嘩することなんて無かったんですが。。。

それから進路をどうするかと悩んでいて、自分は何がしたいんだろうなと思って色々と考えていたんですが、その東京に行く友達が帰ってきたときにイベントを出来るように自分は地元にコミュニティを作ろう、商売をしてコミュニティを作っていこうと考えるようになりました。

それを特別誰かに話した記憶は無いのですが、母が気付いたのか何なのか「私のいとこに洋服屋さんをしているおじさんがいる、その人の話を聞いてみたら?」と勧めてくれました。

私の父は三条の鉄鋼業を営んでいるので作り手、母方には商売を営んでいる方が多く、「お茶屋」「喫茶店」「洋服屋」と商売気質、自分の血にはもしかしたら職人の血と商人の血が流れているのかもしれません。
(実際兄は自分と違って賢くて、ロボット開発をTOYOYAでしていたり)

そのおじさんのお店「コワフール ジャン」さんに行ってお話しを聞きました。
今はもうそのお店も閉めてしまって、そのおじさんも他界してしまったのですが、
一言だけ忘れずに覚えている言葉があります。

「自分で何がしたいのか?それをやれば良い」

それから音楽の道は諦め、まず自分のビジネスを持とうと思い情報系に強いビジネス学校に行くことに。大人数の学校だと先生にいろいろと聞きにくいと思い、NSG系はパス。
「新潟情報ビジネス専門学校」というマイナーな学校に行くことにしました。

でもこの学校に行ったことが自分の人生のターニングポイントだったのかも。
少ない人数だったが故に、まったく趣味思考の違う友人と濃い時間を過ごせました。
これが大人数だと恐らく似たもの同士が集まってしまっていたと思うけど、ぜんぜん毛色の違う友人を作れました。

その中に、古着好き、ウラハラ好き、コレクションブランド好き、がいたわけです。
それで広く色んなファッションについてきたのかな??

専門学校時代にはバイトをして、そのバイト先でまた出会うんです。
洋服好きな先輩に。。。




長くなったのでまた機会があれば。。。つづく。。。かも。。。












murayama

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